ロボット評価

 ぼくは本当の意味での議論が好きなのでけっこう議論をふっかけるタチなのだが(ちなみに本当の意味での議論好きとは、勝ち負けなど存在せず、単に相手に広い意見を知り互いに近づこうと努力する行為を指す)(ほら成人として並のコミュ力あるからそこらへんしっかりしてるんだよ)、そうしてる時に彼女によく言われることがある。

「そんなに理屈のみで説明しようとすると、(せっかく人間なのに)ロボットの下位互換になっちゃうよ」

 この意見の裏を追っていくと、どうやら「ロボットというのは画一的な意見しかできず、また人間に必要なある種のブラックボックスが存在しない、ロマンのないもの」と分類できるらしいが、人間であるぼくがそれを目指そうとすることはお門違いであるし、同時に空しいといえるそうだ。

 そんなばかな…。けっこううろたえた。ぼくほど人間をよく理解しようとし、同時に人間味の溢れる存在も中々ないと思う。

 ぼくの言う理屈というのは、あくまで人間が幸せになることを目的とした意見であり、また人間性の上に成り立つ理論は須らく正しいという確信によるものでもある。つまり人間性と論理を切り離して考えようとしていない。近代化は少なくとも世界史で言う昔よりは良くなったと思うし、近代化を育んだ最低限ロジカルな考えというのは人間が適切に生き抜くために必要なものなのだ。と、そんな風な反論はうまく説明できない気がした。

 もしくは、逆にいえば、ロジカルでない人間性というものは人間性と呼べないと言っていいし、また人間味のあるロボットがもし存在したなら、それはロジカルできない人間よりは遥かに人間味を持つとも思う。この時の人間味というのは良識のことだ。「人が人を傷つけるのはよくない」という人間性の上でロジックを組み立てる、自生し繁殖する知的生命体が生まれたなら、それはロジカルに従えない人類よりは、少なくとも先立って生きていくべきであると感じる。