ニューダンガンロンパV3 EP1、EP2クリア

 だいぶ放置。でもダンロンV3というお題が降ってきたからそれについて書きます。ネタバレ注意とか書く必要もないくらいネタバレ。

 まずダンロンV3がどういう枷を負いながら世に出てきたかというと、「名作ダンロン2を超えられるか」「駄作ダンロン3が作ったヘイトを打ち壊せるか」この2つに集約されるといっていいでしょう。つまり「ダンロン2を作った人たちなんだからポテンシャルはあるけど、でも3があんなだったからなあ。完全にネタ切れしてんのかなあ」という不安と期待が同居した忌み子。超高校級の忌み子がV3と言えるんじゃないかな。

 と、いう切り口で書いてしまうといかにも総括っぽくなってしまうから、少なくともこの記事では前半のパンチ力について書いておきましょう。

 そんな大した量にはならないけど、一応パートでわけます。

<プロローグ>しょっぱな意外だったのは物語の一番はじめです。発売前の考察をぼくが読んでいた時に、個人的にかなり当たってそうだなと思った「才囚学園の超高校級たちは全員植え付けられた嘘の才能の持ち主」という説について触れてそうな始まりだったからです。つまり宇宙飛行士だとか発明家だとかマジシャンだとか昆虫博士だとか、いかにも子供が憧れそうな、ある意味嘘っぽい才能が多いのは、実は彼らが子供のころに夢見ていた才能を思い込まされているというのがオチという考察です。なんといってもV3のテーマは嘘なので、そこらへんとの兼ね合いでかなりありそうだと個人的には見てました。V3の序盤に出てくる中学校の制服を着た赤松ちゃんと最原くんは自分に才能がないと言っているので、「おっ」と思いましたね。でも序盤でそれを映すということは、当たらずとも遠からず、つまり話のネタのひとつではあるけどオチではないのかな、と思って進めていたら、これはEP2の序盤で覆されちゃいました。残念。まあ、もし本当に植え付けられた記憶だとしたら、美術部とか保育士っていうのが微妙になっちゃう弱点はありましたしね。しかたないです。

<EP1>名パートといっていいんじゃないでしょうか。体験版でしつこく主人公の銘を打たれていた赤松ちゃんがまさかの殺害実行犯。ダンロン無印のEP1をほんの少し彷彿とさせながら、それでも新しい切り口で裁判を展開させたのは感心しました。容疑者が少なすぎたことを除けばアクロイド方式としてうまい線だったと素直に思います。EP1で密室と平行して最大の謎だった「どうして犯人は初回特典を受けなかったのか」についても疑問なく解消したのはGOOD。またダンロン2の七海とは違って序盤で起きるというのも対照的でいいですね。ただ人が殺せるくらいの鉄球なら本なんかで止められずに落ちるとは思う。おしおきについてはダンロン2のように皮肉をきかせながらダンロン無印のおぞましさも出せていたのでこれもよかったといいたいです。これも発売前に考察されていた、EP毎にモノクマーズが欠けていくというのも映像の中で処理したのは個人的に好感。

<EP2>コミュ上げてた星くんと東条さんの脱退で至極残念丸。蜘蛛の巣のおしおきはPVで見た時はてっきりゴン太かと思いましたけど東条さんでしたね。今回は2っぽいおしおきでした。星くんは見た目忍空のくせして遠慮のない青学レギュラーっぷりでウケました。動機ビデオが白い点からしても蘭太郎といっしょでもう一回なんかありそう。トリックとしては、個人的にロープを使ったトリックと建物トリックが大好きなので大満足。基本的なミステリはゴミですけど建物トリックは最高じゃないですか?舞城王太郎的に考えて。当然2のEP4も好きでした。フィクション感とぎりぎりできそう感の融解点って感じでたまらないです。急に頭角をあらわしてきたハルマキちゃんの引きもよかったし、謎もいい塩梅だったので良パートだったと思います。

<EP3>今裁判前です。ロープや建物よりもさらに好きな見立てがでてきて興奮。見立て殺人って最高じゃないですか?舞城王太郎的に考えて。犯人は真宮寺かキーボか百田で!希望は百田で本命は真宮寺くん。ひとっ走りしてきたら続きやります。また。

けっこう放置

 けっこう放置してた。続かん。

 なんか書こうと思います。

 ぼくは自分の彼女に「○○さんは自分と同じだけの物を人に求めるんだねえ」という事象に関する感想をよく言うんですけど、これは案外当たり前のことだし、ぼく自身もそうなのではないかと思います。でも問題は自分がどれだけのものを持っているかわからないし、相手がどれだけのものを持っているかもわからないことだよね。だから一番大事なのは、目に見える形で提示できるものがせめて対等であればいいってことなんだろう、と思います。それが相手に対しての礼儀だろうし、自分にとっても戒めになる感じがする。

 いや、中身のないこと書いちゃった。上のは本心であり同時に空虚でした。

 もう2016年も終わりますね~。

ちゃんとやった

 ちゃんと筋トレしてから走りましたよ?腹筋ローラー50回やってプロテイン飲んで5㎞走りましたよ?最近は5㎞で結構グロッキーですよ?そして走ったということを誰に証明するでもなくただ記してもう寝ますよ?朝ですからね?おやすみなさい?

走るマン

 これから嫌だけど走るマン。嫌だけど。

 今日はどうしても走るべき日だったのだが生憎の雨で、ゲームをしながら時間を潰していたらいつの間にかこんな時間で、玄関の扉を開ける前に「降っていたらきっぱり諦めて、止んでたら絶対に走る!」と内心雨が降っていることを願いながら開けたらなんか止んでた。最悪である。

 今は結構痩せる太るのちょうど境にいる頃で、走るのをやめた途端に太り、走った次の日には痩せているというわかりやすいシーズンなのでいつも以上に休めない。あと最近髭を生やすスタイルにハマっていて、デブで髭はどうしても避けたいという意味でも休めない。走ると思った瞬間にだるくなったり眠くなったりする体質でたった今も苦しんでいるけど休めない。なんだかんだでノルマをこなさないではいられない性格なので多分行くんだろうと思います。多分。

 行って帰ってきてたら続きを投稿します。

イケメンを呼べ

 イケメンは偉大である。ぼくはホモではないがイケメンが好きだ。イケメンがいると場が華やぐ。ぼくはホモではない。しかし女系一家の出ではある。母・姉・妹がおり、皆がジャニーズにハマっていた時期がある。ライブに連れていかれたこともあるし、曲を好んで聞いたり番組を観ていたこともある。そのせいかぼくの好みはジャニ系である。マッチョ系ではない。でもいい男にはタッパが必要だと考えている。さらにいうと最低限の筋肉も必要である。つまりぼくのいう条件は難しい。最低でも身長は175センチは欲しいし。

 何が言いたいかっていうと、最近世間のイケメンのハードルが下がっていないか?ということです。もしくはぼくが知らなかっただけで昔からそうなのかもしれないけど。でもなんとなくそんな気がする。昔はイケメンって冠詞がつかなかっただろうイケメン俳優が多いし。

 大学に入った時に周囲のイケメンと呼ばれる人間の程度が低いな、と思っていた。ぼくはホモではないのだがそう思っていた。ぼく自身がイケメンに一種独特な雰囲気を求めているという側面は別に関係なく、単純に顔の作りが甘かったり、身長がギリギリ170センチあるかないかくらいの人々が持て囃されていた。おかしい。イケメンはもっと存在感が要るものだ。なにか言葉には表せないものが備わっているべきだ。これは願望か?イケメンというものが普遍性を持つとぼくは困るのか?いや、困らない。別に何も困ることはない。ただイケメンには完璧でいてほしいだけだ。完璧に近づいていてほしいだけだ。つまり概念に対する崇拝に近い。お前らイケメンをなめるなよ、という気になる。6頭身はイケメンじゃねーんだよ!!最低7持ってこない!最低!

 やっぱりね、理想は8頭身なんです。それでも7頭身でも可って言ってるんだから6は持ってくるなよ!最低でも7!ここが譲れないラインなんだなーと思った。

SF的な選択性

 変えない選択を尊ぶというのは優しさのひとつなんだろうか。福島みず穂が「シン・ゴジラ」と「君の名は。」を観て、「3.11を取り戻したいという思いを感じた」とかいう2那由多中2点みたいな感想を吐いてたけど、果たして本当に3.11は取り戻していいんだろうか。

 たとえばあなたがポスト3.11の記憶を持っている状態で2011年3月以前の世界線に移れた時、避難勧告を出しますか(無論そういう権利があると仮定した際に)。というとYESと答える人が多そうだから、なら「このスイッチを押せば3.11が起こらなかった世界に行けますが、どうしますか」という聞き方だったら、これは割れるんじゃないかと思う。

 SF小説だと「あなたの人生の物語」とか「クリュセの魚」、カート・ヴォネガット・Jrの多くの作品なんかは、NOという選択を示した。逆に「夏への扉」や「時をかける少女」は概ねYESという答えだ。これらの作品だと問題の規模に違いが見られるけど、大体の方向性は合っていると思う。

 先に言っておくと、この文章中にぼくはこれといった答えは出せない。上に挙げている作品はどれも好きだ。ただ、強くぼくが揺さぶられたのはNOという答えを示す場合に多い。SF的に過去を変える選択の方が素晴らしいと感じるわけだ。これについては自分でも詳しい事由はわからない。こじつけるとこういうことになる。

 みんなの聖書である(そして聖書である故に過度の言及は不適切な)ジョジョの奇妙な冒険は、人間賛歌というひとつのテーマに一貫して描かれている。つまり人間の素晴らしさは前に向かって進める強さ、悪党だろうがヒーローだろうが前向きに強く生きようとする姿勢が素晴らしいというテーマだ。ぼくの心が無自覚にジョジョと深く結びついているからか、もしくはちゃんとこテーマに賛同しているからかは知らないが、ぼくはこの考え方こそがあらゆる創作に必要なものであると考えているし、尊敬すべき人間の感性だとも思う。自分の弱点や良くないところを自覚しながらも前向きに頑張って生きてみせることこそ、作品の受け手が影響されて然るべきテーマのように感じる。

 上記の「あなたの人生の物語」は似通ったテーマだと思う。過去と現在と未来に垣根を作らない宇宙人の文法に触れるうちに宇宙人の物の見方を得る主人公と、0歳~20歳の娘と私生活を過ごす主人公の2つの側面で進む中編に、ぼくは途轍もなく美しい価値観が彫られているように感じる。それは辛いことも人生の多大なる価値のひとつと認め、真向から享受するという強い歩き方だ。3.11の例でいうなら、3.11が起きたからこそ出会った男女も存在し、3.11があったからこそ生まれた命も存在するということだ。スイッチを押してしまえば、彼らの人生に対する価値を無に変えてしまう。

 この地球上に存在するものはすべて遠い未来にはなくなってしまう。太陽と接近してすべてが焼かれてしまう。でも人類の営みがすべて全くの無価値であるとは誰も思っていない。最愛のパートナーが道半ばにして亡くなったとはいえ、「あなたと出会わなければよかった」と誰もが思うのだろうか?その死をも吸収して前に進む姿勢こそ見習うべきだと、ぼくの読む教科書は言っているように感じる。

 かといって、3.11で失われた命があることもまた、聳え立つ事実だ。だからこそ、創作における姿勢の教えというものが活きるのだと思う。どちらが正解であると確信することはできないけど、事象そのものから目を瞑る選択よりも、事象を抱えて強く生きていく姿勢を示す作品にこそ心が動くという事実は、そう考えると納得がいくわけだ。

痩せよう

 ぼくは最近ダイエットをしていて、内容的にはびみょーな食事制限とかランニングとかをしています。食事制限といっても食べる量を切り詰めているのではなく、単純に食った物の概算をiphoneのメモ帳に載せているだけです。でもこれが案外効く物で、理屈はよくわからないんですけどちょっと効果あるんですよね。普通に1日3000kcalとか4000kcalとか採ってるから普通に太ると思うんだけどちょっと効果あるんですよね。気のせいか?気のせいかもしれない。今日は少なめで現時点で1500kcal採ってます。でもあとでさらに1000kcalくらい採ると思います。

 よくもまあ飽きもせず新しいダイエット本が毎月たくさん出ますが、ぼくも実績でいえば本を書ける人間で、5年くらい前に半年で40kg落としました。具体的には100kg→60kgに。だから世界丸見えに出てくる人間みたいに皮がびよんと伸びます。ちなみにこのことを言うと(特に女子は)目を煌めかせてどうやって痩せたのか訊いてきますけど、答えは「2日に1回ハーフマラソンをしていた」なのですぐに小さめのハゲタカを見る時みたいな視線に変わります。

 運動以外で痩せるわけないんですよ!カロリー制限して痩せても筋肉も失われてるんだもん。筋肉がなきゃ基礎代謝下がっちゃうから一生カロリー制限しないといけないしそうしたらダイエットやめられないじゃん!ダイエットっていつか終わりが来るから続けられるんでしょ?好きな物をたくさん食べられないような無間地獄に収まるくらいならダンディなデブの道を選ぶよ。

 痩せていっぱいおいしい物を食べたいなら、やっぱりおいしい物のカロリー分を消費するしかないんだよね。スタイルはゼロサムゲームだ。つらい思いをした分だけおいしい思いもできる。

 とはいえ、ここまで書いておいて実はそうでもないのかなって思ってます。なんでかっていうと、採ってるカロリーと消費してるカロリーを考えると太っていく方が自然なのに、近頃ちょっと痩せてきてるから。上にも書いたけど1日普通に3500kcalとか採ってるのに最近は減ってるんです。不思議ですね。

 ちなみに現在のぼくの体のステータスは身長177cm体重82kg(全盛期より22kg多い)。筋肉量は61kgで基礎代謝は1900kcalです。体脂肪率は確か19%とか(ちなみに全盛期は5%だった)。歩いたり寝たりの日常生活による消費カロリーが1000kcalと見ても、実質採っていいのは3000kcal弱のみ。運動は2日に1回6km走るかもしれないくらいなので、1日あたり300kcalもマイナスを割り当てられないです。つまり優しめに見て大体イーヴン。でも体脂肪はちょっとずつ減ってる。不思議です。

 日常生活によるカロリー消費を少なく見積もってる気もないですし、しかも食事で採ってるカロリーの計算は実はちょろまかしてます。なんでかっていうとフルーツジュースのカロリーを入れてないから。うちの近所のスーパーにめちゃくちゃうまい100%のストレートりんごジュースが安く売っててたくさん買ってたくさん飲むんですよね。ビタミンCを大量に採ってるおかげで髪はさらさらです(でもなんか慢性的に腹を下すようになりました)。ストレートフルーツジュースって果糖がたんまりなのでカロリーも高いんですよね。1000mlで500kcalくらいは余裕で飛びます。そしてぼくはそれくらい平然と飲んでいます。

 何が言いたいかっていうと、つまりビタミンって良いんじゃない!?ってことです。ビタミンがぼくの体を活性化させていて、その良い方向に活性化させている働きがよりカロリーを必要としていて、結果マイナスに持ち込めているのではないか?むしろ、フルーツジュースを飲むようになった代わりにやめた大量のコカ・コーラがぼくの体に悪い作用を与えていたのではないか?(急に飛んだ)

 とにかく、カロリー以外の要素、採っている栄養の中身ががらりと変わったことによって、体の細胞が生まれ変わり、カロリーとかあんまり関係なくちょっとすっきりしたのかな、みたいな。与太話かもっすね。でもこの頃はそういうことを実感してます。

 ところでビタミンCをたくさん採っても肌はあんまり改善されないので、肌は食事よりも良質な睡眠に影響されるのかもしれないですね。