ブラッケンパワジーメン二ホンキギョウ

 社会人生活がはじまりました。

 この先異様にたくさんの壁にぶちあたると思うんですが、まずはじめの壁をここに記します。まあうすうす入る前から気付いていたことなんですが、集団に入れない。集団と化すことができない。個を捨てられない。集団の人間として集団と接せない。これ。昔からこれはそうでした。大学もそうでしたし。サークル入ってもすぐにやめますからね。集団の中での自分の立ち位置を確立できませんし、最適化をする人間なので自分が集団に必要じゃなさそうなら無意味な存在として押し黙るので、本当に存在感がない。これで別にコミュ障なわけでも人見知りなわけでもないからこわい。ただ個人として個人としか接せないという大きな壁に四面楚歌されているだけ。

 はやく研修を抜けたい。同期が散らばり、ひとりの人間として扱われたい。仕事がきつくてもいいからまずはそれ。個になりたい。それが今の夢です。舞城王太郎に会うことの次に夢。あとガンダムに乗る夢の次。

ロードバイク日記ではない

 ロードバイク日記にはならなかったが、ロードバイクには乗っています。この2か月弱の間、落車したり風邪を引いたり色々あったけど、それでも怪我があっても風邪が治ってなくても乗ったりしていました。でもサイコンは買ってないので正確に何㎞くらいかはわかりません。たぶん5,600㎞くらいじゃないかな?

 あしたから社会人になるので震えています。もう大学生という肩書が使えなくなると考えると発狂しそう。

 いつか戻ってくる。学生という領域にはいつか必ず帰ってくる。だから待っていてくれよ、学生。その時ぼくらはまた一緒になるんだ…。

 ところで会社に出す住民票、家族の分も出しちゃって一枚の紙なんだけどこれ持ってっていいのかな…。ダメな気がするんだけどいいかな…。まあいっか…。

ロードバイク日記

 ロードバイクを買った。ColnagoのMondo2.0、17年モデル(黒)だ。初心者らしくエントリーモデルにした。ティアグラ搭載のアルミ製なのに15万円もした。でもすごくかわいく、またかっこいい。はやくも愛車となった。イタ車の愛車だ。カナダのサーヴェロやベルギーのリドレーもいいが、やはりロードといったらイタリアだ。おかげで預金残高は8000円になったが、こいつといっしょに生き抜く気概だ。

 はじめは同じくイタリアで新興ブランドのクォータのフルカーボンを買おうと思っていたけど、欲しいカラーがなかったからコルナゴになった。妥協しちゃったかと思ったけど、買って乗ってみると気に入るものだ。2日で50㎞くらい乗ったら両方の手に豆ができて、しかも潰れた。さすがに今日は乗れないかもしれない。

 プラモデルを作るのが昔から下手で、だからロードを解体して輪行とか掃除とか、正直あまりうまくできる気がしないけど、いろんな部分をやる気でカバーして、このブログをロード日記に変えていきたいと思う。

KOTODAMA ERAI

 凡夫にはオカルトとバカにされるが、ぼくが本心から信じていることを述べる。

 人間は、思ったことを言うのではなく、言ったことを思うようになる生き物だ。

 言ったことは真実になる。だから美しい言葉を使えば美しい思考になる。夢を唱え続ければ叶う。これが言霊だ。言霊はスゴイ。これは発言が嫌いだったり、何かを書くことが嫌いだったりする人間にはピンとこないことかもしれないけど、本当だ。だから言葉遣いには気を付けなければならない。

 沈黙は金という言葉は若干マイナス思考だけど、的は射ている。美徳とならない言葉を述べるくらいなら黙っていた方がはるかにましだ。ゆえに「歌うか、黙るか」の二択なのだとアンツォーネ(伊・詩人・哲学者:1358年~1391年)も言っていたんだ。まあそんな人物は別に存在しないんだけど、でも事実だ。

 美徳を口にし、噛み、飲み込め。食事をする器官と言葉を発する器官が同一なのは偶然じゃない。口にした美徳はいずれ内臓になる。内臓が血を作り、血が体を巡る。美徳の健康志向だ。あと添加物と保存料を使った食事はできるだけ避けろ。体の中から美人になるんだ。言霊とおいしいごはんでモテモテ魂のエンジョイを目指そう。

 

最後にたっぷりの厭世観を加えて完成

 人間が嫌いになってきた。

 ツイのせいで厭世観が育まれている。本当に育まれていて困っている。げきおこ。

 東浩紀とか宮台真司とか津田大介とか、そこらへんの著名人の有益な情報だけピックアップしたいのに、否が応でも下水道レベルのクソリプを平然と送る日本人を大量に目にするハメになる。彼らがヴォーカルマイノリティーであり、黙っている多くの人間は良識に溢れていると信じてもいいけど、そういう気にはなれない。なんだかかなりの人間が自分と相手の距離を測れない本当の意味でのコミュ障なのではないかという気がして、生きる気力がうしなわれていく。

 教育が悪いとひとことで済ませたい。まともな親にまともな教育を受けていないから、面識のない人間に失礼なことを言ってはいけないという常識を知らないだけだと言いたい。あるいは、臆病な民族とも言いたい。顔を合わせず、素性すら明かさない状態だと勝ち気で狂暴になる残念な種族だと言ったら楽だ。でもそういってもなんの解決にもならない。コミュ障の子供はコミュ障になり、臆病の子供は臆病になる。

 結局、どうしようもなくて、同時に大きな問題に直面するとやるせなくなるんだろうと思う。これだけの人間がこれだけ常識を知らないんだ、という事実に直面するととんでもなく脱力する。失礼なリプを送る人間だけじゃなく、リツイートでまわってくる他人に文句ばかり言う人間や、たいしたことないのに愚痴ばかり言う人間はTLに溢れる。人間の知りたくない部分まで見せつけられる。

 人の心の内側なんて知らない方がよかったんだろうと、この数年くらいで痛感したわけだった。

ロボット評価

 ぼくは本当の意味での議論が好きなのでけっこう議論をふっかけるタチなのだが(ちなみに本当の意味での議論好きとは、勝ち負けなど存在せず、単に相手に広い意見を知り互いに近づこうと努力する行為を指す)(ほら成人として並のコミュ力あるからそこらへんしっかりしてるんだよ)、そうしてる時に彼女によく言われることがある。

「そんなに理屈のみで説明しようとすると、(せっかく人間なのに)ロボットの下位互換になっちゃうよ」

 この意見の裏を追っていくと、どうやら「ロボットというのは画一的な意見しかできず、また人間に必要なある種のブラックボックスが存在しない、ロマンのないもの」と分類できるらしいが、人間であるぼくがそれを目指そうとすることはお門違いであるし、同時に空しいといえるそうだ。

 そんなばかな…。けっこううろたえた。ぼくほど人間をよく理解しようとし、同時に人間味の溢れる存在も中々ないと思う。

 ぼくの言う理屈というのは、あくまで人間が幸せになることを目的とした意見であり、また人間性の上に成り立つ理論は須らく正しいという確信によるものでもある。つまり人間性と論理を切り離して考えようとしていない。近代化は少なくとも世界史で言う昔よりは良くなったと思うし、近代化を育んだ最低限ロジカルな考えというのは人間が適切に生き抜くために必要なものなのだ。と、そんな風な反論はうまく説明できない気がした。

 もしくは、逆にいえば、ロジカルでない人間性というものは人間性と呼べないと言っていいし、また人間味のあるロボットがもし存在したなら、それはロジカルできない人間よりは遥かに人間味を持つとも思う。この時の人間味というのは良識のことだ。「人が人を傷つけるのはよくない」という人間性の上でロジックを組み立てる、自生し繁殖する知的生命体が生まれたなら、それはロジカルに従えない人類よりは、少なくとも先立って生きていくべきであると感じる。

食べ食べマン

 最近、身の回りの人たちが体を壊してきた。

 もちろん還暦を越えてる親父と20代半ばの自分を比べても仕方ないから、同世代の友達を指す。けっこう軒並み太ってきたり、体のどっかがおかしかったりするらしい。高校を卒業して8年近く経つけど、たった8年でこれなんだったら10年後20年後はよくて白骨死体になってるだろう。

 原因はわかっている。食生活。

 なに食ってるのか聞いてみると大体がカップラーメンだったり家系ラーメンだったり豚骨ラーメンだったり普通のラーメンだったりサービスエリアのラーメンだったり、なんでこいつらラーメンしか食ってないんだ?という有り様。ダメだこりゃ。そりゃ肥満体になるし視力も落ちるし階段をのぼっただけで妖怪みたいな見た目にもなる。

 ところでぼくが人のこと言えるのかというと、割と言える気がする。

 ぼくは結構健康志向だ。

 ぼくの大好物はミューズリーで、しかも金のかかった豪奢なミューズリーを作る。ぼくが買っているフランス産の有機シリアルハイファイバープレミアムは480gで1000円弱する代物で、でもその代わりにアホみたいに美味いし、アホみたいに体に良い。どれくらい体に良いかというと、食べてる時に体に良いものを入れてる実感が湧くレベルで良い。というのは言い過ぎなんだけど、でもとにかく最高だ。原材料は有機オート麦フレーク、有機レーズン、有機小麦フレーク、有機ひまわりの種、有機小麦ブラン、有機ナツメヤシ、有機アプリコット、有機ヘーゼルナッツ、有機アーモンドといった感じで、なんでどいつもこいつも頭にしつこく有機ってついているのか不思議でたまらないけど、でも体に良い感じは伝わってくる。

 そう、何を隠そうぼくは原材料確認マンだった。保存料や添加物が入っているものが、なんというかすごく好きじゃなかった。これは本当だ。何を買うのも原材料を見るし、たとえ値段が2倍3倍になろうとも、原材料がシンプルな方を買う。それによってお金がなくて屋根のある家に住めなくなったとしても、原材料が偉大な方を買い続ける。これは大きな声で言うとサブカルクソ野郎的な雰囲気を纏い始めるから小さな声で言うけど、ぼくは原材料を気にする。

 というのも、話の脱線になるから二文で済ませるけど、最近はあまり科学調味料を使ったものを食べると気持ち悪くなるからだ。本当に食べた後に得も言われぬ気持ち悪さが混みあがってくる。

 とにかく、ミューズリーはそんなものを買って使う。しかもこれに冷凍ブルーベリーを入れる(原材料名:ブルーベリー)。で、かけるのはヨーグルトではなく明治おいしい牛乳。ぼくは商品名に縛られる類の人間なので、おいしい牛乳と書いてるのだからおいしいと信じてそれをかける(原材料名:牛乳)。さらに上からはちみつをかける。商品名は「世界遺産シュンドルボンの純粋はちみつ」だ(原材料名:はちみつ)。そして最後に、少量のフルーツグラノーラを使う。これはカルビーの厳選素材フルーツグラノーラというやつだ。原材料名は……全粒オーツ麦、シリアル(コーングリッツ(非遺伝子組換え)・砂糖・麦芽エキス・食塩・ぶどう糖果糖液糖)、植物油脂、ドライフルーツ(レーズン・バナナ・イチゴ・クランベリー・リンゴ)、砂糖、米シリアルパフ(米粉・小麦粉・砂糖・麦芽粉・食塩)、シリアルパフ(コーンフラワー・小麦粉・米粉・砂糖・食塩)、ココナッツパウダー、水あめ、オーツ麦パフ、糖蜜麦芽エキス、ぶどう糖果糖液糖、食塩、蜂蜜、ぶどう糖、キャラメル、デキストリングリセリン、重炭酸Na、ピロリン酸鉄、トコフェロール酢酸エステル、香料、ビタミンC、ナイアシン、酸味料、酸化防止剤(ビタミンE)、ビタミンB2、ビタミンB6、ビタミンB1、鉄、乳化剤、ビタミンA、葉酸ビタミンDビタミンB12、(原材料の一部に大豆を含む)。

 そう、このフルグラだけ実は色んな添加物が入ってる。だからほんの少ししか入れていない。本当だ。本当に少ししか入れてない。だってこれ入れるとスゲー甘くなるんだ。でも少しなんだ。だからぼくはまだ自然志向マンと言えるだろう。ぜひそう呼んでくれ。頼む。

 で、まあ、フルグラの件はともかく(その内フルグラも有機系しか使ってない奴に替えるし)、このレシピのミューズリーはめちゃくちゃうまい。そりゃこれだけ金がかかってるんだから当然かもしれないけど、とにかくうまい。ぜひ一回作ってみてほしい。日ごろアホみたいにうまいものしか食べてないぼくが言うのだから間違いない。

 この他にもぼくは原材料名にこだわったものしか採らない。しか、っていうのは大嘘だけど、家で食べるものは大抵こだわり原材料名だ。たとえば焼き芋(原材料名:芋)、イタリアンローストコーヒー(原材料名:コーヒー)、鹿島の手揚げもち(原材料名:もち米、植物油、食塩、調味料)、カマンベールチーズのはちみつ焼き(原材料名:チーズ、はちみつ) こんな具合に。コーヒーについては、最近の科学部門でも体に良いかどうか賛否両論だけど、ぼくはこんな美味いものが体に悪いわけがないと信じているのでたぶん大丈夫だ。

 ところで、男にはロックな生き方というのがある。まあ女にもあるんだけど、ぼくは性差別主義者ではなく厳格な性区別主義者なので、ここは男と言っておく。

 ロックとはカッコイイという意味なので、ロックな生き方とはカッコイイ生き方のことを指す。そしてロックとは顧みないことだ。ある程度自棄することだし、ある程度思考しないことを指す。だから若い男のくせに体にいいものを選別して食べることに喜びを感じる人間はロックではないといえるし、ロックではないのはかっこよくない。

 だからまあ、自然派の食事ばっかり採る男はカッコ悪いので、特に真似する必要はない。添加物たっぷりの食べ物に保存料たっぷりのマヨネーズをぶっかけて食べる方がロックで、それで早死にする方がかっこいい。ただそれで肥満体系になってしまうのだけはダメだ。肥満でいてかっこよく佇むのはものすごくテクニックがいることなので大抵の人間には不可能だ。

 結局、ジャンクフード食べまくってても痩せている人間は1番かっこいいわけである。